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雨 夏

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私も女子大生

社会人女子大生☆☆三年生です☆☆
4/24/2008

引越しの引越し

 
 2008年3月に無事に卒業しました(^_^)v
 引越し先の 「我的学生生活」
      ↓
   を経て、 
 
 現在はこちらで開いています。
      ↓
5/22/2006

やはり、お休みします

 ぐらぐら気持ちが揺れていて、どうしよもない。
 
 人が言葉で伝えられることはどれほどもないような気がする。伝えられないことの方がはるかに多いと思うのだ。けれど言葉は必要だ。言葉で伝えなければ他に手段がないことの方が多い。言葉が正確に自分の気持ちと合っているものなら、言葉で伝えたほうがよいだろう。今の私、どの言葉も言葉にした途端にちがうように感じる。
 
 なんて、ヘリクツこねて、それほどのものでもないとは思うけれど、やはりこのブログ、しばらく休憩します。
 
 再開したときは、よろしくお願いします。
 
 
 

やはり、こまったな

 奨学生のこと。
教務課に行って「辞退したら次の人が受けるのですか」
と聞いたら
「そういう問題ではありませんから」とやさしく言われた。
 
各学部で成績優秀者が二人なのだそうだ。
名誉なことではある。
 
しかし、ねぇ・・・
私、ほんとにいただいていいの?
 
若い学生さんが勉強しない証拠みたいなものじゃないかと思うのだけど。
木曜日の授賞式には出ると言ってしまったから受けるけど。
うれしい、でも困るのだ。
 
***********************************
今朝書き込んだ『キティちゃんのおうち』は削除しました。
イメージは本当はリカちゃん人形だったのです。
リカちゃん人形を卒論のテーマにしている人がいると聞いてから、リカちゃん人形が時代によって少しずつ顔つきも変わっていることや、豪華なリカちゃん人形もあると知りました。
リカちゃんとキティちゃん、人とネコでは随分キャラがちがいます。
それを間違えるなんて、私らしいです。
でも、あの『キティちゃん』、少し変えて同人誌に出すつもりです。
訳のわからないこと書いて載せている詩誌です。
5/21/2006

いつのまにか再開してます

 日記だから、公開しなくても書いていた。見せられないことは消した。
 で、再開。
 
 体調不良は寝たら治った。しかし4時間ぐらいで目が覚める。どうしたことか。ここ数日は家で老犬を触って遊んでいる。わが老犬は、もう遊びたがらない。一日中ほとんど寝ている。番犬役も退職したらしく、めったに吠えない。この犬を無理に起こしてかまう。逃げる、逃げる。 犬のように自分を抱えるように丸くなって、一日中寝ていたいのだけど。
 
  『中国の赤い星』上下を古本屋で買った・・・ネットの古本屋だけど。
  
 
 

暴力は環境?

 先週出された宿題の文章なかにこういうものがあった。これは中国で作られた外国人向けの語学教科書の一部で、翻訳の練習用なので、内容は信頼おけるかどうかわからないけれど。

 この文章によると、インテリ階層や管理職、比較的お金持ちは、家庭内暴力が、そうでない人たちと較べて少ないということみたい。んん? だとしたら本来の人間の性格は暴力的だということ? 教養やそのほかの余裕でかくれているだけで。それとも貧乏や無教養という環境が人をイラつかせる?? 環境によって人の性格が左右されるということなんだろけれど、「ふうん」だった。日本の場合はどうなんだろ。 

 

 北京人的婚姻情况 

   19942~3月间,北京市婚姻家庭研究会进行了一次大型的婚姻质量调查活动。

    根据被调查人的回答,北京市市内8个区的居民对自己的婚姻非常满意的人有428%;夫妻感情非常好的达到539 。被调查人自己感觉他()的配偶非常爱他()的有494%;自己感觉非常爱配偶的有495 。根据这些,可以得出一个结论,在北京居民中,对自己的婚姻质量感觉良好的占全市居民的一半左右。

    根据统计,夫妻之间经常谈心的占407%,认为配偶对自己非常体贴的占418%,认为配偶对自己的心情非常关心的占37.7%。

    在北京市区,无论程度频率怎么样,丈夫打过妻子的占到213%;妻子打过丈夫的占到152%;吵架的情况就更加普遍。

    专家们通过对家庭暴力的调查分析认为,年轻的、教育程度低的,以及除干部和知识分子之外的人,打人的概率大些。而在年纪大的、干部、知识分子以及经济情况比较好的人中,夫妻不吵架的概率要大一些。

    在回答“你有没有过离婚的想法”这一问题时,有769%的人回答“从没有过”,另外231%的人曾经多少有过离婚的想法。当然,有过离婚想法,离真的去做还有很大的距离。但是,可以认为,北京居民的婚姻中,有接近四分之一的家庭存在着不稳定的因素;而另外的四分之三才可以说是真正稳定的。

5/20/2006

どうしよう

 大学から「奨学生として表彰します」という手紙が来た。奨学金もいただけるらしい。授業料年額の半額相当とある。ン十万円である。
 
 けれど、これは若くて将来のある人にあげるべきだと思う。私は夫の遺族年金で暮らしている。定年前に亡くなった人の遺族年金だから多いとは言えなくて、それだけでは生活などとてもできない。だからお金にはとても魅力があるけれど、そんな問題ではない。学費はなんとかなると計算したうえで大学を受験したのだ。そのようなものをいただかなくても大学生活は成り立つ。
 
 辞退するのは簡単。しかし、私が辞退した場合、奨学生には次の候補の人がなるのだろうか。その人はどんな人? 一旦もらっておいて大学に寄付しようかな。それともゼミ旅行の時、みんなで使うとか。
 
 困るのである。実際、私にはそれだけの成績の実力はないのである。何かの間違いでよい成績が取れただけなのだ。ではなくて、若い学生さんが勉強しないだけか。
 月曜日に教務課に行って相談してみよう。
5/19/2006

雨が降る

 雨が降る。5月の雨。みどりの雨が降る、私の内にも雨が降る。こぬかの雨が降る。見ている。しずかな雨を見ている。私の中に降る雨を。みどりがしみる・・・
5/18/2006

しずかなゴミに・・・

  水曜日に捨て損なったプラスティックのゴミ。袋に入ったまま、タタキにしずかに置かれている。捨てなければと、あの日に朝玄関に置いて、お弁当をつくっていたらいつの間にか学校へ行く時間になってしまった。
  臭うものではない。中をちゃんと洗って水を切って袋にいれてある。だからこのまま一週間持ち越しても構わない。けれど捨てるはずだった日に捨てないと気になるものだ。
 
 ゴミ。このごろは細かく分別しなければならず、とても面倒。わが町内は火曜日が燃えるゴミの日。水曜日はプラスチックゴミ、木曜日は隔週で資源ゴミの日。そして金曜日はまた燃えるゴミの日。火曜から金曜まで連続してゴミの日だ。
 毎日何かを捨てている。こんなに捨てつづけても、まだ何かを捨てる。人間の欲望の排気ガスみたいなものだ。欲がなければゴミも出ないだろうに。
 
 捨てる。捨てる。人との関係も捨てなければならないものもある。欲を持ってはいけない。欲を持てば醜い。醜くなる前にしずかに壊れていこう。壊れてしずかなゴミになろう。
 あれ、何言ってるのかな。
5/14/2006

しばらくお休みします

 少々の体調不良と精神的疲れのため、しばらくお休みします。
 
 なあんてこと言って、すぐ書き込んだりするかもしれませんが。
 
 しばらくって、5分かもしれないし3年かもしれないです。
 
 ではでは。
5/13/2006

雨の土曜日

 連休にやったレポートの一つが、やり方が間違っていて、それを頑張って訂正していたせか疲れが出た。水曜の夜くらいから頭痛で動けなくなり、このところ夜はなにもしないでテレビも見ずに寝ている。木曜の授業のない日も、庭の草取りを少しして、あとはぼけっと過ごしてしまった。やはり年齢なのだ。気持ちはあっても身体がついていかない。

 だからお勉強は若いうちにするものだよ、と若い人たちに言ってるけれど、通じない人が多い。私だって若いときは勉強なんか大嫌いだったし、順繰りなのだろう。気がついたときは遅いと言うことなんだけれど。

 バイトのやりすぎで体調を崩して授業を休んだという子がいた。生活のためなどではない、車のローンがあるからだ。んんん? 信じられない。そういう子って、先生にネコちゃんみたいに取り入るのだ。またまた信じられない。私にもそんな感じで接してくるのでかわいいと思うけれど、あれは自然に身についたしぐさか?

  

 さて、まだ来週の火曜日締め切りのレポートがある。まだイントロ部分だけしかできていない。明日の日曜日は中国語の試験を受けに行く。この試験、今回勉強してないので絶対に昇級は望めないが、すでに受験料が払ってあるし、試験慣れのために受けにいくようなものだ。休憩なしの2時間半の試験で説明やその他を入れるとほぼ3時間かかる。途中にトイレなんか行っていたら問題は做不了,こなせないほど多い。また疲れそう。

 

 レポート、いつ書けばいいのだ。また前日の夜にやるっきゃないか。

 まあね、企業に問い合わせた回答もちゃんといただいたし、資料は揃っている。あとは気合である。 

 

 などと、ぶつぶつ言っている土曜日。食料の買出しに行こう。冷蔵庫が空っぽ。 

きょうも雨だ。寒いね、5月も半ばなのに毛糸のカーディガン羽織ってる。

 

5/9/2006

若い友だち

 昨日は留学生の友人と一緒に帰ってきた。地下鉄の途中の駅まで帰り道が同じなのだ。L君は年齢から言えば私の息子みたいだけれど、学校ではやはり友だちの感覚でいる。何と言っても、彼は私の中国語の先生。ときどき中国語の宿題を教えてもらう。
 
 少し前のこと、このL君にラーメンをご馳走になってしまった。連れて行ってもらったのは、若者がいっぱいで、ご飯とキムチのおかわり自由と言うお店だった。ラーメンもおいしかった。
 
 彼には彼女がいる。将来は結婚するみたいだ。彼女の話をするとき、かれはとても嬉しそう。いいなぁ、若い人は。
 
 うらやましがっても仕方がない。私だって若いときはあったのだから。今、若い人と一緒に学生してるのは、人生の「おまけ」みたいなものだ。この「おまけ」は試験があるけれど、うれしい響きを持った言葉だ。
 
 L君が結婚するときはお祝いを、と考えている。まだ気が早いかな? 
5/7/2006

かくして黄金周もおわり・・・

 雨の日曜日。庭の牡丹もすっかり散ってしまった。5月の初めの気持ちのいい季節のはずなのに、今年のゴールデンウィークは最悪だった。接触事故のせいだ。それに大学のレポートもたくさんあった。あった、ではない。まだ終わっていない。只今コーヒーブレイク。ブレイクばっかりだけど。

 

 明日からまた授業が始まる。気合を入れなくては。エイッ!

 

 やることがあるのは幸せかもしれない。・・・大変だけれど。

 

 雨、雨・・・。雨が落ちてくるのを見ているのは好き。緑がきれいだよ。

  さて、エイッ、エイッ。気分を入れ替えて、もう一つ、宿題を片付けることにしますか。

しかし、若い学生さんも同じようにレポートや宿題を抱えているはずなのに、なぜあんなにバイトをしながらやっていけるのだろう。要領を知っているのかな。若いから頭の回転も速いし、することも速い。その違いはわかるけれど。妙に感心する。

5/5/2006

事故その後

 今朝は、昨日車をぶつけた人の家まで、ご挨拶に伺った。家と言ってもそこは喫茶店だった。経営していらっしゃる。カウンターの中で動き回りながら対応してくださった。
 
「すみませんでした」
と、ここで私は菓子折りを差し出し、 
「車の修理のことは保険会社にお任せましたから」
と言った途端、相手の方は大きな声で
 
「それで終わり? 保険屋に任せて、後は知らんでは私の気かすまないね」
 
「はあ。ではどうさせていただいたらいいですか」
 
「買って半年もたたない車だよ。修理して、はい終わり!? それでは私の上では決着がつかないね。保険で修理できたとしても、あんたと私の間は終わりじゃないでね。それをよおく胸に入れといて!」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 その後、たくさん大きな声でおっしゃった。
 悪いのは私。仕方ない。
 
 「すみません、悪気があってしたことではないので」
 「あたりまえだわ!」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 カウンターに加勢する女性もお一人。
 要するに、こちらが何を言っても立腹は収まらないということがわかった。途中で、菓子折りを突き返えされそうになった。
 
 やっと解放されて、そこを退出してからもかなしかった。
 
 しかし、悪いのは私。仕方ない。これも試練かな。最近、いろんなことで調子に乗っていたから、神様がゴツン、と叱ってくれたのかもしれない。
 
 こんな程度の事故でよかった。・・・と思うことにしよう。
 
 実際、事故の程度は、お互いのバンバーに擦り傷がついて、バンバー全体が多少浮いたか、どうかな、という状態。私の車の方はもっと軽く、バンバーには相手の車の赤い塗料が三筋四筋ついている。この程度で、そんなにお怒りにならなくても、と言いそうになったが、言えるわけがない。 
 もしも逆の立場で、大事にしている車に傷がついたら、いくら修理してもらっても私もやはり気分はよくないと思うから。 
 
 やはり試練だ。気を引き締めよう。
5/4/2006

事故

 なぜあんなところで、と言うようなところで事故は起きる。ドラッグストアの広い駐車場。
 
 止まっている車にバックでぶつけてしまった。ぼうっとしてたから。
 
 相手の車には人が乗っていなかったので、誰も怪我をしていない。ただ、その車の持ち主、女性のわめきにおののいた。買ってからまだ半年だと言う。怖かった、声が。私と同年代だと思う。真っ赤な小型乗用車だった。
 
 ああ、糟糕!
5/3/2006

いいな、いいな

 昨日、帰りは特急に乗った。この春のダイヤ改正で、普通電車は途中の駅での乗り継ぎしかできなくなって面倒になったのだ。混雑している時間帯でもあったし。終点から折り返して普通に乗った方が早く家に着くし…、350円の座席指定料金を払う言い訳を自分にしながら。こうして言い訳を毎回しながらけっこう利用している私。

 

 この特急は空港行きである。従って大きなトランクを引っ張っている人が多い。昨日は連休のせいで家族連れが多かった。お父さん、お母さん、子供ふたり。どこへ行くのだろう。いいなあ、家族…。思っても仕方がないことを、見ればやはり思う。

 求めてもついに得られなかった家族像。見かけるたびにほほえむけれど、一瞬寂しい風がよぎる。でも、すぐぶるるっと犬が身震いするみたいに振り払う。

 

 「おとうさん! おとうさん、ってば」

小学校3年生ぐらいかな? おとうさんはぼんやり外の景色を見ていたけれど、あわてて男の子の方へ向き直った。

 それぞれに家族の物語があることだろう。人生なんて旅みたいなものだから、旅行に出るのは、夢の中でさらに夢の物語を見ているようなものかも。

 

 電車は名古屋市内を出たらノンストップなので30分で空港に着く。海が見えてそこを渡ったら空港だ。夕暮れのぼやっとした闇の中、飛び立って行く飛行機が見えた。 

いってらっしゃーい。 よい旅を!

5/2/2006

カレンダーどおり

 世の中、ゴールデンウィーク。しかし、学校はカレンダーどおりに授業がある。昨日の朝、通学のために乗った電車は空いていた。いつもは混雑している時間帯だ。学校のほうも、教室には半数近い学生がいなかったように思う。
 
 夜は宿題を片付けようとしたが、気が抜けて寝てしまった。お陰で、頭はスッキリ・・・と言いたい所だけれど、風邪を引いたらしい。おとといあたりからノドが痛い。ウガイをしても薬を飲んでも治らない。本格的かも。
 
 でもやはり、今日も授業があるのでこれから出かける。ゴミ出したし、今夜のおかずも作った。洗濯は母に干してもらうよう、部屋の中に低い干し竿を広げた。庭の牡丹が満開。雨が降ったら散るだろうな。
 私も明日からは5連休。レポートが4つに宿題一つあるから遊ぶわけにはいかないけれど、心はゆったりできる。
 さてと、行ってきます。
4/29/2006

若葉萌え

 昨日は小さい発表が一つ終わって、少しほっとして、金曜の夜でもあるし、学校の帰りに美術館に寄ってきた。ルオー展を見た。

 

 ルオーは随分前に東京の美術館で自画像の作品を見て、なかなかいいじゃん、と思った記憶があるのだが、今回は宗教画が多くて、「いいじゃん」よりも気持ちが少し低下。でも黒の太い線で、油絵だ、と言ってるような書き方はわるくないと思った。

 

 あの美術館に行くと、いつも館内の喫茶店に寄る。昨日も夕暮れの白川公園を眺めながらしばしぼっとしていた。前の道を犬が通る。白に黒の模様の、何と言う種類か知らないけれど101匹ワンちゃんの映画に出てきたおしゃれな犬を散歩させる人が通り、その向こうのグランドでは、サッカーをして遊ぶ子供たちがいた。

 

 木々はすっかり新緑に代わっている。木々の中で芽吹きが遅い部類のケヤキも新緑だった。若葉って個性的だとおもう。黄色っぽいものから赤っぽいものまで、いろんな色で主張している。緑の季節到来だ。私は満開の桜の花よりも新緑の葉をいっぱい広げている木々を見るほうが好き。これから物語がはじまる、そんな自然の幕開けみたいなものを感じるから。

 

 美術館を出て、公園の中を通って帰る途中、グランドの横のちょっとした広場でダンスの練習をする若者たちがいた。20人ぐらいいただろうか。日本まん中踊りみたいなものを音楽に合わせて、楽しそうに。しかし、振りが揃っていてけっこう一生懸命なのが見て取れる。

 途中に「うー、うわっぉ!」というかけ声。

 

 若葉が踊って萌えていた。

 

4/25/2006

エビのはなし

   この授業、今日はエビの話だった。私たち日本人が食べるエビは、車えびなどの高級モノを除いて、大半が輸入されているということである。家庭の食料を買い続けてきた私だから、そうだろうとは思っていたが、それが、その地域の人たちにどんな影響を及ぼしているか、思いもよらないことだった。

 

 なぜこんなにエビが輸入されるようになったかと言えば、養殖技術と冷凍技術が発達したからのようだ。養殖される地域は、労働力の安い地域の東南アジアに集中している。授業でいろいろ聞いてビデオを見て、私が思ったのには、人は、自分の目に見えないことや、直接手を下していないことは、自分は悪者ではないと思っているけれど、本当に考えなくてはいけないのは消費者だということ。もちろん、そうしむける企業も悪いのだけれど。

 

 いま日本人が一年間に食べているエビは、ブラックタイガーに換算して、一人平均一年に約80匹だそうだ。エビって、私が子供のころは、高級品だった。私の育った地域は海辺で、地元で獲れる小エビにはよくお目にかかっていたけれど、一匹でエビフライにするような大きいえびは、あまり食べたことはなかった。それがいつのころからだろう、ハレの日の食べ物ではなくなったのは。私の家も以前はお正月にエビフライを作ってお客様料理にしていたが、今は全くしなくなった。ふだん食べるようになったからだ。

 

 だからと言って、食べるなということではない。お値段や手軽さや、「安全」の影に現地で破壊される自然環境のことを一般の人たちがもっと知るべきだと思った…授業だった。環境教育みたいな授業ではあるけれど、こんなのもあっていい。

4/21/2006

ほんとうかな?

  「李香蘭、日本名は山口淑子ですが、知っている人」と先生は言った。そのとき手を挙げたのは、50人くらいの学生のうち私一人だけだった。私の年代では女優としてより、参議院議員だった人という印象が強い。知っていて当たり前。しかし、若い人たちは、ほんとうに知らないのだろうか。知っていて手を挙げないだけのように思うのだけど。どちらなのかよくわからない。

 

 若い学生さんと接していて不思議の思うことの一つに、知っていても手を挙げない、知っていても授業で発言しない人がいるということがある。そして、積極的な人を特異な目で見る人がいて、そういう人は家でこっそり必死に勉強していて、「やってませんよー」と言う顔をしていること。 

 まじめが軽蔑されるなんて、と思う。

 

 私も極端に真面目な人は苦手だけれど、授業に前向きな人は好き。自分もそうありたいと思う。しかし授業に前向きな人の足を引っ張ろうとしている感じの学生がいるのだ。もちろん、そうでない学生さんもたくさんいるが「控えめ」と「活発」のうち、授業中に限って「控えめ」を選択している人が多い。

 

 だから私は、李香蘭をほんとうに知らないのかな?と首をかしげたのだった。どうなんだろう?

4/19/2006

忘れっぽい年齢プラス

 先週の同じ時間、三限目、最後に提出する出席カードを兼ねたコメントカードに、私は自分の名前と学籍番号を書き忘れた。あのとき、すぐ戻って先生にそのことを伝えに行ったのだった。

 

 今日、コメントカード提出のとき、先生から「名前、やはりなかったから書いときました」と言われた。親切な先生。感謝! この先生の授業、無理して取った甲斐ありや?

 

 しかし、忘れっぽいのは茶飯事で、それに加齢もあるから、学生なんかよくやっていられるなと思う。まあ、仕方ないか。

 

 きょうは別の授業で、ちょっとショックなことがあった。中国語の授業で、訳す順番が来たのだが、自分ではまあまあ無難に訳せたと思うのに「難しいところですから、○○、もう一度訳してください」と男子学生に訳させたのだ。あとで、その先生の授業を去年の秋から引き続き受けている女子学生に聞いたら「あんなの序の口ですよ。○○もですけど△△が、あの先生の一番のお気に入りみたいです。気にしてたらだめですよ」とニコニコ。ふうん。

 

 女性の先生だから、若い男の子がいいのか、と思った。この授業はそういう方面の観察もできるということみたい。それにしても、みんなのレベルは高い。この科目は複数の先生がちがった曜日に授業を持っていて、どの先生の授業でも初めに登録さえすればよい。クラスを変えてみてよかったかも。大変だけど自分のためになるから。・・・と思うことにしよう。

 

 今、学校で書き込んでいて、きょうはこれからゼミの飲み会。どんな会かな?

4/16/2006

犬も祭りが見たかった

  春祭りの季節。私の地域も、小さいながら毎年山車が出る。
 きょう出かけていて夕方家に戻ったので、山車が曳かれる様子は見えなかったが、家に戻ってから、窓のところに足を投げ出して座り、夕ぐれの中から響いてくる祭りの太鼓の音を聞いていた。風が強く、庭の椿の花が、まるごと、ぼとぼと落ちている。
 
 ふと気がつくと、ワン君がいない!  どうした?
 
 見ると、繋いだヒモの端が擦れて外れていた。 わ! たいへん。
 
 飛び出した。「はちぃ~」。もう恥ずかしさも何もない。大きな声で呼びながら、途中で出会ったご近所の人に、見なかったか尋ねながら走った。いつもの散歩コースへ。
 うっ。浜辺は砂が風に乗って飛んできて、目を開けていられるような状態ではなかった。髪の中は言うに及ばず、口の中、耳の中に砂が飛び込んでくる。防波堤を歩くのはやめて祭りの会場の神社の方向へ・・・。海辺の神社なのだ。
 
 いた、いた。いたぁ! うちの犬だ。神社の生垣の外で、何やらくんくん臭いをかいでいる。
 やれやれ。引き綱につないで、さて帰ろうとして、折りしも祭りの人だかり。太鼓が狂ったように打たれている。灯りを点けなくても人の顔が見えるくらいの夕やみに、桜の花びらが舞い、最後の太鼓打ちの時だった。小ぶりの山車も、こうしてみると情緒あるものだ。ふううん。
 
 太鼓の音を背にして家に戻ってきたが、犬も祭りが見たかったのだろうか。いつもは音をとても怖がるのに。
4/15/2006

個性的と変人は

 新しい学期が始まって10日過ぎた。履修する科目は週に一度だから、一渡り先生の顔も見た。本当は敬遠したいのに準必修科目なので再びお目にかかる先生もいれば、好きだから他をやめてわざわざその先生の授業を取ったものもある。そして、私には初めての先生も何人か。今期、その初対面の中に、うわっ、と思ったヘンな先生が二人いる。

 

 まずは服装。その人は青ぶちのメガネ。フード付きのトレーナーっぽい上着に、ズボンはコーデュロイのオレンジ。ひざが丸く出てた。まだ若いし、まったく先生に見えない。でも声がはっきりしていて、でかく、授業内容は興味深い感じ。レポートへの注文も多くハードそうだが、面白そうだから履修することにした。

 

 もう一人は、クマ。姿ではなくてセーターの模様がでっかいクマさんだった。そして話し方が「あのね、先生はねぇ…」とまるで幼稚園児を相手にしているみたい。なんなのだ、この人。学生側は笑いをこらえるのに必死の様子。いくらなんでも学生を幼稚園児並みに扱っては失礼ではないかと思ったが、授業の内容は真面目だと、その先生のゼミ生から聞いたので受けることにした。それに単位が取りやすそうでもあるし。ラクな科目もなくちゃ。

 

 大学の先生は、どの人も個性的だ。それが魅力でもあるけれど、視点を変えたらただの変人ということもある。この二人、もう少し授業を受けてみないとどちらの比重が大きいのか、まだそこのところはわからないが。

 授業を教養的に受けるのは、だいたいにおいてつまらないから、その人の考え方や生き方から何かを学べたらいい。私なんて、そんな程度にしか授業を考えていない。就職するでもなく、おもしろく卒業することが目的の学生、変人は私かな?

4/13/2006

『連理の枝』 韓国映画

 昨日は学校の帰りに試写会に行った。さすが女性に人気の韓国映画、会場は大半が女性だった。

『連理の枝』の意味は、白楽天(白居易)の長恨歌「天に在りては比翼の鳥となり、地に在りては願わくは連理の枝とならん」からきている。二本の木の枝が絡み合い一本になり、二人の愛は永遠に一つになるという。

 

 監督はキム・ソンジュン、主演の二人は『冬ソナ』のチェ・ジウでと『オオカミの誘惑』のチョ・ハンソン。また病気モノだった。恋人が不治の病なのだ。韓国映画はこの路線は多い。なんだろう、愛は短いから美しいということだろうか。観客が泣いている様子が伝わってきたけれど、私はこのストーリーに泣けたのではなく、「短い愛」というものを考えていたら涙がにじんだ。短いから美しく切なく、終わりがあるから物語になる?

フツーの人は延々と生きていくしかないのだけど。

 

 でも、美しいラヴストーリーにはちがいない。美男美女の二人。軽妙に笑いが入って、重くないし、チェジュ島の近くの島で撮ったという風景も美しい。ゲームが好きで、ゲームソフトの開発会社を興した若者という設定も、現代的。こんな王子様が現れてほしいという若い女性の願望の代弁かも。現実は、王子様なんて滅多にいないのだけれどね。韓国も日本も、女性の願望は同じということかな。

 

   

4/11/2006

嵐の夜はろうそくの灯りで

 きょうは図書館でぐずぐずしていて帰宅が遅れた。家に着いたのは7時半ごろ。雨が降っていたが風が強く、傘がさせない。春の嵐だ。駅から走って家まで来た。ふと見ると家に明かりが点いていない。真っ暗。さては、母が中で倒れている! あわてて中に駆け込んだ。

 

 「おかあさん!」

 「A子か?」

 「あー、あー。何よ、どうしたのよ」

 「電気が切れちゃった」

 母は真っ暗な台所にちょこんと座っていた。やれやれ。食事をしようと電子レンジで温めている最中に真っ暗になったのだという。もう一時間半になるという。

 

 というわけで、私はブレーカーが落ちたのだろうと思って懐中電灯片手にブレーカーボックスのところに行ってみた。ブレーカーを上げるだけで電気は簡単に点くと思った。しかし・・・、ん?

 

 台所とお風呂の回線は「入」になっている。ほかもどこも落ちていない。私の家は、継ぎ足し継ぎ足しして部屋をつくったので、回線がふつうの家にしては多いほうだと思う。

よく見たら漏電防止のスイッチが「切」になっていた。横に書かれていた説明を読んで、その通り白いボタンを押して上げてみたが、すぐまた「切」になってしまう。何度やってみてもどうしても電気は入らない。意地でも「切」のままでいてやる・・・と言われているみたいだった。

うーん、うーん。困った。家の中は真っ暗。今夜は冷凍にしたご飯を解凍の予定だったから、ご飯はカチンと凍りついていて食べられない。ガスは点くのでなんとかなるけれど、しかし暗い。お湯も電気に頼っているので出ないし、トイレも冷たい。それから電話も通じない。懐中電灯だけでは暗いので、仏壇からろうそくを持ってきて明かりにした。そして携帯で中部電力の営業所に電話してみたが、出ない。電気の配線工事店に電話しても出ない。いつも頼りにしている妹夫妻は旅行中でいない。

 

 うーん、うーん。どうしよう。最悪の場合は、このまま寝る。もしくは妹の家の鍵を預かっているから、妹の家でお風呂に入って寝る。などなど考えた。で、思いついたのはこの家を建てた○○建築。地元の人で父の代からの顔見知り。そこから配線工事店に頼んでもらおう。2年ほど前にお風呂を取り替えたのも、その建築屋さんだ。

 

 待つこと15分。外でバタンと車のドアの音がして、真っ暗な玄関にぬっと現れたのは、なんと建築屋の社長。配線工事の人にも連絡してくれたのだが、この夜に大変だろうと先に見に来てくれたのだ。いろいろかまって、母の部屋のエアコンの配線だけ「切」にして、あと全部ブレーカーのスイッチを入れなおしたらOK。点いたぁ!

 

 よかった、よかった。配線工事の人は明日来てくれることになった。たぶんエアコンの配線のどこかで漏電が起きたのだろう。

 

 母は言う。

「昔の人は電気なしでどうやって暮らしとったかねぇ」

母も昔の人なんだけど・・・。母の生まれた大正は電灯だけはどこの家にもあったから。

 

平成の世、電気まみれの生活の中で、電気のありがたさを噛み締めながら遅い食事をした夜だった。

4/9/2006

『夫殺し』

 すごい題名だなぁ、と思って読み始めたら内容もすごかった。台湾の小説。作者は李昴という1952年生まれの女性。藤井省三の訳本を読んだ。

 

 台湾が高度成長を始める前の1940年代が時代背景。台湾の港のある田舎町。人々は儒教的な呪縛の中で女性への蔑視的差別を不当とも思わず暮らしている。そこで起きた夫殺しという殺人事件。すわっ、必ずや情夫がいるにちがいないと人々は思う。しかし、事実は全くちがっているのだが・・・という内容。

 

 これ、フェミニズムの小説というが、なんだろう、隣家の覗き見ばあやは、現代の日本の低俗なマスコミの煽り方を連想したし、それを面白おかしく聞く人たちは、テレビのワイドショーの視聴者や週刊誌の購読者ではないか、と思えた。こうあるべきという観念に縛られた人たちの無責任な噂話。それが殺人への導火線ともなっている。

 

 その覗き見ばあやにしても、嗜虐的性交を強いる夫にしても、母親を(たぶん)死にいたらしめた親族にしても自らに罪の意識はない。そこが呪縛なのか、人間性の怖いところなのか。とにかく誰が悪というのではなく、周りの人も夫も、かなしい環境であるし、主人公・陳林市の無教養ゆえの悲しさもよくでている。

 

 台湾文学…の第一冊目。うーん、なんともね、すごいけれど、また別のを読みたい。南国の果物のようにクセになりそうな予感。

 
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